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京都で最も古い歴史を持つ神社で、社殿の造営は天武6(678)年と伝えられる。祭神は賀茂別雷神。平安遷都後は鎮護国家の信仰を集め、伊勢神宮に次ぐ社格に。本殿と、本殿の非常時に神儀を行う権殿は文久3(1863)年の造替。共に国宝で下鴨神社本殿と同じく三間社流造りの典型。他に41棟が重要文化財。神が宿るとされる立砂も有名だ。 |
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古代原生林の名残「糺の森」に鎮座。古代豪族・賀茂氏の信仰の中心であった京都最古の神社のひとつで、平安遷都後には国家鎮護の神として伊勢神宮に次ぐ社格が与えられ、式年遷宮が行われた。文久3(1863)年再建の国宝・東西本殿には、賀茂建角命、玉依媛命を祀る。他に53棟の重要文化財があり、神聖な雰囲気の中に華麗な王朝文化をしのばせる。 |
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平安京造営の際、国家鎮護のため羅城門の東西に置かれた官寺のひとつ。空海により真言密教の根本道場に改められた。国宝の金堂には本尊薬師如来坐像を安置。講堂では大日如来坐像を中心に21対の仏像が立体曼荼羅を形成、このうち15体が国宝に指定されているなど、真言密教美術の宝庫としても知られれる。高さ55mの五重塔は日本最高。 |
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宝亀9(778)年、延鎮上人が草庵に観音像を祀ったのに始まる。平安時代初期、坂上田村麻呂が音羽の滝の北崖に観音堂を建立して以来、観音信仰の中心地として栄えた。現在の国宝・本堂は寛永10(1633)年の再建で、高く険しい崖に張り出した「清水の舞台」は、釘一本使わない柱組だけで支えられている。本尊の十一面観音像は33年に一度のご開帳。 |
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霊峰・比叡山山上に、延暦7(788)年、伝教大師最澄が開いた天台宗の総本山。法然、親鸞、日蓮、栄西、道元など名僧を輩出した。東塔・西塔・横川の3つに分かれ大伽藍が林立。三塔の中心である東塔には、国宝の根本中堂があり、堂内には大師が刻んだ秘仏・薬師如来像を安置。また創建以来消えたことがないという「不滅の法灯」が揺れる。 住所 : 滋賀県大津市坂本本町4220 |
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醍醐山全山が寺域の同寺は、貞観16(874)年、理源大師が上醍醐に准胝堂、如意輪堂を建立したのに始まる。下醍醐には京都府内最古の木造建造物である国宝・五重塔や、豊臣秀吉が設計し、名石藤戸石を運び入れた三宝院庭園(特別名勝・特別史跡)など貴重な史跡が残る。10数万点に及ぶ宝物の多くが国宝・重要文化財で、その一部が春秋の霊宝館宝物展で公開される。 |
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仁和4(888)年、勅願寺として宇多天皇が創建。御座所“御室”が置かれたことから御室御所と呼ばれた。皇子・皇族が住持する門跡寺院の筆頭として栄えたが、応仁の乱で焼失したのを徳川幕府が再建。国宝・金堂は御所からの移築で、桃山時代の建造。現存する最も古い紫宸殿の遺構である。多数の国宝を春秋に公開するほか、春には御室桜が有名。 |
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永承7(1052)年、藤原道長の別荘を子の頼通が寺に改め、翌年、阿弥陀堂(国宝)を建立。翼廊と尾廊を持ち、大棟に鳳凰をのせる優美な姿から「鳳凰堂」と呼ばれる。堂内には国宝・阿弥陀如来坐像を安置し、その周囲を国宝・雲中供養菩薩が舞う。阿字池が広がる庭園(史跡名勝)は、西方に鳳凰堂を望み、この世の極楽浄土を具現化した造り。 |
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創建年代は不詳とされるほどに古く、平等院建立の際には、その鎮守社として崇敬を集めた。国宝・本殿は平安時代の築で、現存する日本最古の神社建築。一間社流造りの3棟の内殿を檜皮葺の覆屋で囲った特殊な形をしている。祭神は中殿に応神天皇、右に仁徳天皇、左に莵道稚郎子。同じく国宝の拝殿は鎌倉時代の建造物で、寝殿造りの様式となっている。 |
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国宝「鳥獣人物戯画」の寺としても高名な同寺は奈良時代から続く古刹で、建永元(1206)年、後鳥羽上皇の院宣により、明恵上人が再興。「日出先照高山之寺」の勅額も残る。上人の住房であった国宝・石水院は上皇の学問所を移築したもので、縁側からの眺めが素晴らしい。境内には、上人が栄西からもらった種を植えたという日本最古の茶園も残る。 |
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庭一面、緑の絨毯を敷いたような苔の美しさから「苔寺」と呼ばれる。奈良時代に行基が開山、夢窓疎石が再興した。疎石は上下二段の庭を作庭。このうち下の庭は池泉回遊式庭園で、黄金池のまわりを120種類もの緑苔が覆う。重要文化財の茶室・湘南亭は千利休の次男である少庵の築。上段は最古の枯山水庭園として、日本庭園史上、極めて貴重な遺構。 |
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もとは亀山上皇の離宮が営まれていた場所に、足利尊氏が後醍醐天皇の菩提を弔うため、夢窓疎石を開山として建立。費用調達のため、元との貿易船「天龍寺船」を運航した。方丈前に広がる「曹源池庭園」は、日本で最初の池泉回遊式庭園であり、史跡・特別名勝指定第一号。亀山・嵐山を借景に、王朝の美意識と禅文化が見事に溶け合った、名庭中の名庭だ。 |
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応永4(1397)年、西園寺家の別荘を足利義満が譲り受け、北山殿を造営。北山文化が花開く。義満の死後、夢窓疎石を開山に寺に改められた。燦然と輝く舎利殿・金閣は、一層が寝殿造り、二層が武家造り、三層が唐様の禅宗仏殿造りと異なる様式が見事に調和。昭和25年に焼失したが、30年に復元された。鏡湖池を中心とした池泉回遊式庭園は特別名勝。 |
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文明14(1482)年、足利義政が東山山荘を造営、死後、禅寺に改められた。国宝・銀閣は観音殿で、下層が書院造り、上層が唐様と異なった構成。やはり国宝の東求堂は初期書院造りの遺構で、四畳半茶室の原型「同仁斎」がある。特別名勝の庭園は上段が枯山水、下段が池泉回遊式。下の庭には観月のために作られたという砂盛り「銀沙灘」「向月台」がある。 |
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宝徳2(1450)年、徳大寺家の別荘を細川勝元が譲り受け寺とした。方丈前庭が世界に名高い「石庭」(特別名勝)。油土塀で囲まれた東西25m、南北10余mの白砂の庭に、15個の石を置いた簡素な造りながら、「虎の子渡し」など作意に諸説あり。また一度にすべての石を見ることができないなどの謎も秘める。東庭には水戸光圀公寄進のつくばいがある。 |
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天正19(1591)年、豊臣秀吉により現在地に移された浄土真宗本願寺派の本山。国宝・書院は、白書院と広さ203畳もの対面所から成り、障壁画、欄間彫刻などに桃山美術の粋が結集。他に、日本最初の能舞台「北能舞台」、秀吉が建てた聚楽第の一部であった「飛雲閣」、伏見城の遺構である秀麗なる「唐門」など(いずれも国宝)、見るべきものが多い。 |
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慶長8(1603)年、徳川家康が幕府の拠点として造営。国宝・二の丸御殿は、遠侍・式台・大広間・蘇鉄の間・黒書院・白書院が雁行型に配された武家風書院造りの典型で、各部屋が狩野派の障壁画で飾られている。このうち大広間が、大政奉還の舞台となった場所だ。特別名勝・二の丸庭園は小堀遠州の作。現・本丸御殿(重文)は旧桂宮御殿を移築したもの。 |